ピエロとクラウンの違い

こんにちは。クラウンのじ~にょです。
じ~にょは、こんな顔してます。

クラウンとピエロ

さて、質問です。自分を見てどう思いますか?
または、じ~にょを街で見かけたら、どんな風に声をかけますか?

「あっ、ピエロだ~」なんて思う方も多いのではないでしょうか?

実は「ピエロ」と言うのは間違いで、「クラウン」っというのが正しい言い方なんです。

このブログでは、「ピエロとクラウンの違いは何なのか?」を解説し

そして、
「なぜピエロという呼び方が広がっていったのか?」を

じ~にょの推測を交えて論じていきたいと思います。

ピエロとクラウンの違い

まずはクラウンとは?

clown

クラウンとは「おどけ者」の総称です。
日本では「道化師」なんて翻訳をされますが、いわゆる「面白いこっけいなこと」をする人たちの事です。

英語で書くと「Clown」
辞書で引くと、「田舎者」とか「おどけ者」という意味があります。

よく間違えられるのは、「Crown」という「王冠」や「王位」を表す意味の言葉。

スペルの「L」と「R」で意味が真逆になってしまいます。
ちなみに車の「クラウン」も「R」の方の「Crown」です。
陽気な方の「Clown」とは関係がないのでご注意を。

CLOWNの語源ですが、「田舎者」や「無骨者」を意味する英語のclodからきているという説や、古代ノルウェー語で無骨を意味するkluniが語源であるという説もあり、はっきりとした定説はありません。

次にピエロとは?

ピエロマスク

ピエロとは、16世紀後半にイタリア北部で生まれた仮面即興劇・コメディア・デラルテで登場するキャラクターの一つです。
大きな襟と大きなボタンの付いた白い衣装を着て、白塗りのメイクをしています。

もともとは、アルレッキーノ(フランス アルルカン、イギリス ハーレークイン)という道化役がいましたが、人気が出てきて、次第に劣性を削ぎ落としていきました。
そこで、さらなる道化役が必要になり、ピエロがフランスで登場しました。
(1665年、モリエール作『ドン・ジュアン』において、ピエロがフランスで登場)

ピエロのモデルは、フランスの農民で、一般男性の名前「ピエール」が元となっています。
そして、ピエロを発展させていったのが、以前にブログで紹介しましたドゥビュローです。
ドゥビュローにより、現代のピエロのイメージが作られていきました。

つまりピエロとクラウンの違いとは?

クラウンは道化師を表す総称であり、ピエロは演劇の役名の一つです。
クラウンがカテゴリーで、ピエロがその中に入っているというイメージ。

果物で例えると、フルーツが総称で、イチゴがその中のひとつ。
道化だと、クラウンが総称で、ピエロがその中の一つ。
ちょっと分かりずらいですかね?
絵にしてみます。

↑こんな感じであり、

↑強引に表現するとこんな感じ(もっと詳細はありますが)

しかし、日本ではピエロという言葉が有名になりすぎて、クラウンという言葉を超えていきました。

ちなみに「ホッチキス」は商品名で、総称は「ステープラー」と言うそうです。
他にも、タバスコとかウォークマンも商品名みたいです。
ピエロと同じで、商品名がそのカテゴリーを表す代表的なものになっています。

では、なぜ「ピエロ」という呼び方が日本では広がっていった?

海外では、道化師はクラウンと呼ばれていることが多いのですが、日本ではピエロと呼ばれることが多いです。

なぜ、こうなったのか?

ここからは、じ~にょの推測も入ります。

ピエロと呼ばれいる原因①(1850~)

鎖国

ピエロのなぜ

歴史の授業です。
日本は、江戸時代に海外の国とほとんど交流をしない「鎖国」という制度を取りました。
そして、1854年に開国され、徐々に日本に海外の文化が入ってきて、その後、日本も海外に使節団を派遣するようになりました。

その時期が、ちょうどフランスでドゥビュローの死後に起きたピエロブームの時期と重なります。

使節団がフランスでピエロの挿絵やグッズなどを目の当たりにして、「ピエロ」を日本に持って帰り、紹介していったのではないかと考えています。

実際、1911年には、「パンの会」というフランス文化を研究する会が開催されました。
木下杢太郎、北原白秋など、後に高村光太郎や永井荷風などの文化人が参加しております。

白秋は後に、道化に関する詩も書いています。

ちなみに、『仏和辞典』に「ピエロ」という文字が初めて現れたのは1887年のことでした。
意味は「長袖白衣の売戯者、同に扮したる人」でした。

1910年の仏和辞典、『増訂版 新仏和辞典』でのピエロの意味は、
「道化俳優、道化役に扮したる人」
となっており、クラウンと意味は混同されていることが分かります。

ピエロと呼ばれている原因②(1900~)

クラウンが日本人に合わなかった

日本が開国された際に、一般的な海外の文化だけでなく、サーカスなどの道化と関連する文化も入ってきました。
1864年 アメリカの「リズリー・サーカス」が横浜で興行を行ったり、1886年にイタリアの「チャリネ一座」が来日しています。

この際、サーカスにクラウンが帯同しているはずなのですが、日本では陽気な気質のクラウンが受け入れられませんでした。

クラウンの代わりに現れたのが、哀しい姿で口上を述べるピエロ。

その後、日本にも他の国と同様にサーカスが広がっていったのですが、他の国と違い、サーカスと一緒に広がっていったのは、クラウンではなくピエロでした。

ピエロと呼ばれている原因③(1950~)

「天井桟敷の人々」

世界的にも有名なこの映画。

そこでは、「ピエロ」という言葉がたくさん登場します。
日本でもヒットした映画なので、人々の意識の中にピエロという言葉が深く浸透していきました。

その流れを止めることができず、クラウンをやっている人達も、「ピエロ」の方が伝わりやすいので、「ピエロ」という言葉を使ったり、イベントやサーカスでも「ピエロ」という言葉が使われるようになりました。

現在の状況

「ピエロ」と呼ばれることも多いのですが、「クラウン」と呼ばれることも増えてきました。
大道芸のパンフレットでは「クラウン」と紹介されることがほとんどですし、サーカスでもクラウン芸と紹介されるようにもなっています。
クラウンをやっている方々の努力のおかげて、近い将来、「ピエロ」なんて全く呼ばれなくなり、「クラウン」と呼ばれる日が来るかも知れませんね。

本日はここまで。読んで頂きありがとうございました。

過去のブログ↓

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です