サーカスとクラウン②

クラウン(道化師)について研究中のじ~にょです。こんにちは。

以前のこのブログ(サーカスとクラウン①)で、サーカスとクラウンの深いかかわりを、サーカスの歴史とともにお伝えしてきました。
まだ、読んでない方はそちらもチェックしてね。

今日は、その続編ということで、
サーカスの中で活躍したクラウンをご紹介させて頂きます。

1900年代に入ってくると、映画が作られ始めて、映像で残っているクラウンも少しずつ現れてきます。
ぜひ、動画などで検索してみて下さい。
日本語表記では、なかなか出てこないので、海外の表記でも調べてね。

それでは、本日もお楽しみ下さい。

ジョゼフ・グリマルディ

グリマルディ


まずは、このブログでも紹介しているグリマルディ(1779~1837)。
重複してしまいますが、クラウンの歴史の中で大切な方のなので、もう一度、紹介させて頂きます。
グリマルディは、「クラウンの祖」や「クラウンの父」とも呼ばれています。
19世紀前半、ロンドンで人気無言劇役者、クラウン・ジョーイ(Clown Joey)として活躍。
1806年 『ハーレークインとマザーグースと金の卵』が大ヒットし、イギリスのパントマイムを大いに盛り上げます。
1823年 引退

グリマルディはサーカスに出たことがないと言われていますが、その芸風が当時のサーカスクラウンに大きな影響を与えたといわれています。

毎年2月の最初の日曜日に、ロンドンの東部で、グリマルディの功績を讃える「クラウンズ・インターナショナル」とうイベントが開催されており、現代でも影響力が残っているクラウンです。

ジャン・バチスト・オリオル

1837年前後にパリの「シルク・オリンピーク」というサーカス劇場で活躍したクラウン。
「リャー」という細かい叫び声をあげて笑いを誘っていました。
フランスの詩人・ゴーチェは彼を「芸術の百貨全書的人間」呼んでいました。

トム・ベリングス

オーギュストを創造した人。イギリス。
こちらも何度かこのブログで紹介しているクラウンです。
以前に「クラウンのメイク」についてのブログでも紹介させて頂きました。
1864年に登場し、間抜けで不器用で失敗を繰り返すクラウン。

ジャム・ギュイオン

トム・ベリングスの後に登場したオーギュスト。
1878年 フランスにオーギュストを伝えた人物。

ダボダボの太くて長がすぎるズボンをはいて、白チョッキ、大きな白のネクタイ、大きなダボダボの白手袋に大きな赤い鼻をつけた。いつも間に合わない、いつでも遅れてくる役どころで、お客さんを笑わした。

クラウンを扱った映画、「フェリーニの道化師」という映画でも、活躍したクラウンとして紹介されており、次に紹介する「フッティとショコラ」との逸話が取り上げられています。

フッティとショコラ(Foottit et Chocolat)

19世紀後半から第一次世界大戦までのフランスが栄えた時代(ベル・エポック)のころ活躍したクラウン。サーカスのポスターなどにたびたび描かれた。

フッティは、本名チューガー・ボーというイギリス人。
(1864~1921)
6歳の頃からアクロバットなどいろんな芸をやり、最初はエキイエ(曲馬師)をやっていたが、馬が取られてしまいクラウンをやった。

ショコラは、南米のビルバオで生まれた。黒人のショコラ。
(1868~1911)

このころから、クラウンも映像が撮られはじめ、現在も残っているものが出てきました。
フッティとショコラも「ウィリアムテル」という、サーカスの古典作品を演じている映像が残されています。

また、2016年には「ショコラ 〜君がいて、僕がいる〜」で映画化。
日本でも公開されました。
差別的な所がピックアップされている映画ですが、当時のサーカスの様子や二人の活躍ぶりが分かる映画です。
チャップリンの孫であるジェームス・ティエレがフッティ役を演じたことでも、クラウン業界はざわつきました。

グロック(Grock)

1880年に生まれ、1959年、79歳で亡くなった。
スイスの時計屋さんの息子。道化師、作曲家、音楽家。
1903年、クラウンとしてデビューし50年以上も活躍した。

現代でもグロックを好きなクラウンにあげる人は多い。存在感のあるクラウン。音楽的な才能に恵まれ、楽器を使ったギャグを得意とする。楽器が壊れたり、椅子が壊れたり、、、

バイオリニストとしても非常に優秀な力を持っている。

「サン・ブラーグ」という言葉は「本当か?」や「冗談じゃないよ」という意味の彼のお決まり文句。

サーカスで活躍したが、早い時期にミュージックホールなどの舞台でも活躍した。
コンビの相手、ブリックと決別して、イタリア人のアントネと組んでから成功を博す。
スターダムにのしあがったのは、ミュージック・ホールに出演してからだった。
20いくつもの楽器をつかったギャグは、舞台芸として独立することができた。

1931年に、『グロッグ、グロッグを語る』という半自叙伝を出版し、サーカス時代に一応の決着をつけたといわれている。

1927年、無声映画『What for?』を作成
後に、自叙伝も出版する。

フラッテリーニ兄弟(fratellini family)

フラッテリーニ兄弟

ルイ、ポール、フランソワ、アルベールの四人兄弟からなるクラウンチーム。

長男のルイが1909年に死んでからトリオとしてリングに現れる。
1916年、「シルク・メドラノ」に出演してからサーカスの世界の寵児となる。

フランソワが「白面」できらきらした衣装。
ポールはいたんだ燕尾服を着て、気取っている。
アルベールが奇想天外なメーキャップをし、ぼさぼさ髪のカツラをかぶり、巨大なぼろぼろの靴をはいている。

アルベールがしばしばアドリブで演技をしてギャグに巻き込んでいく。

トロンボーンやトランペットやアコーディオンをひいたり、いろんな芸を持っていた。
家の鏡が壊れたので、相棒がそれをごまかすために枠の中に入ってマネをするミラーギャグもあった。

映画、『フェリーニの道化師』に彼らに扮したクラウンが登場する。

本日は、サーカスの中で活躍したクラウンを紹介させて頂きました。

まだまだ、たくさんのクラウンがいるので、またこのブログで紹介させて頂きます。

それでは!

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