映画の中のクラウン③~三大喜劇王(番外編)~
おはようこんにちはこんばんは。
クラウンのじ~にょです。
何時に誰が見ているか分からないブログの世界では、「おはよう」から「こんばんは」までのあいさつをするんですね。
知らなかったです。
ブログの世界も奥深いですね(笑)
ブログも勉強中のじ~にょですが、やっぱりクラウンの事を勉強中!
そんなじ~にょは以前に、チャップリン・キートン・ロイドの三大喜劇王の記事を書きました。
じ~にょはクラウン(道化師)の勉強のために、サイレントフィルムを見始めたのですが、最近では、勉強のために見ているというより、好きだから見ているという感じになってきています。
1920年前後の喜劇映画、面白いです。
本日は、三大喜劇王の周辺で活躍した人物を紹介していきます。
その当時は、映画が流行りだしたことから、たくさんの数の喜劇役者がいたそうです。
その中でも今から紹介する3人は当時の中心人物。
三大喜劇王とも関りも深いどころか、彼らがいなかったら、ここまで喜劇映画が流行っていなかったんじゃないかとも言われる人物たちです。
喜劇映画史に残る3人を見ていきましょう!
マック・セネット(Mack Sennett)
1880~1960
「ドタバタ喜劇の父」
スラップスティックコメディ(転んだり、叩いたりの笑い)を発明した人物とも言われています。
つまりこのマック・セネットがいなかったら、喜劇映画が生まれていなかったということです。
現にチャップリンをプロデュースした人物としても知られています。
セネットは元々、ヴォードヴィルなど寄席に出演。
後に映画界に参入し、自ら主演している作品も300本以上。
さらに、300本以上の映画の監督をしていたり、たくさんの脚本を書きました。
様々なギャグの手法や撮影方法を駆使して、映画を作り上げていきました。
そして、「キーストン・スタジオ」という映画会社を設立しました。
こちらはチャップリンが最初に映画に出演した会社で、チャップリンを大スターにした会社でもあります。
また、キーストン社は、キーストン・コップスというコメディアングループが人気でした。
警察官を使ったコメディで、ドタバタと追いかけっこをして走り回り、最後に池に落ちてしまう演出はキーストン社の得意技でした。
キーストンコップスは人気が出てきたチャップリンを支える形でも活動しました。
キーストン社のあらゆる作品やチャップリンの初期の作品にはたくさん登場します。
チャップリンの他にも、後に紹介する、ロスコー・アーバックルやキートンなど、個性的な芸人が多数集まりました。
ジャック・タチ(フランスの映画監督・俳優)など後に活躍する多くの人物に影響を与え、
クラウンの古典芸である、「パイ投げ」も発明した人物です。
メーベル・ノーマンド(Mabel Normand)
1892~1930
初期のサイレント映画に登場したコメディ女優。
1910年代に活躍。
先に紹介したマック・セネットとも恋仲にあったという。
出演するだけでなく、監督もつとめる。
ロスコー・アーバックルやチャップリン、セネットなどと共演し、数多くの映画に登場する。
日本では大きな羽根つきの帽子を着用していたために、「ハネ子」という名前がつけられる。
しだいに人気が落ちていき精神不安定にもなり、37歳で他界。
映画界初のコメディエンヌと呼ばれる人物です。
ロスコー・アーバックル(Roscoe Arbuckle)
1887~1933
サイレント映画に登場した喜劇役者・映画監督
サイレント映画界の盛り上げにかなりの貢献もお騒がせすることも多く、スキャンダルも。
愛称はFatty(ファッティ)。
日本でも、「でぶ君」で愛される。(当時のあだ名のつけ方は、ストレートですね、、、)
身長は178センチ、体重120キロ。
ビデオの中で見ると、一人だけ体が大きくて目立って、見つけやすい。
当時のスクリーンの中では、さらに際立った存在だったことは頷ける。
三大喜劇王にプラスして四大喜劇王になってもおかしくない程の人気でした。
先に紹介したマック・セネットにスカウトされてキーストン・スタジオで活動。
始めは、キーストン・コップスの一員であった。
その当時、まだ入りたてだったチャップリンとも共演をしている。
チャップリンとの共演作品
1914年 タンゴがもつれる
チャップリン(髭なし紳士)とファッティ・アーバックル(バンドマン)とバンドのマスターの三人が一人の女性を奪いあう。
ダンス会場で喧嘩。その様子が、タンゴを踊っているよう。
1914年 ノックアウト
監督・チャップリン。主演・アーバックル。
チャップリンは、ボクシングのレフリーの役で登場。アーバックルは、ボクシングのチャレンジャー。
相当の強者。キーストンコップを巻き込んでのドタバタ。
1914年 男か女か
映画の撮影所が舞台。女装する作品。
1914年 二組の夫婦
チャップリンとアーバックルの名コンビが光る作品。
酔っ払った二人が、安住の地を求めて様々な場所にくりだす。
アーバックルはキーストン社で活動した後に、自らの会社を立ち上げ映画を作成し、大スターになる。
キートンに映画入りを薦めた人物でもあり、キートンはアーバックルを師事するようになる。
しかし、1921年に殺人容疑で起訴されて、映画界から姿を消すように。
サイレント映画を盛り上げた人物は、活躍した後に不幸になる人物が多いですね。
いかがでしたでしょうか?
本日のブログ。
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